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プシェミシル日本文化センター 顔

イガ・ジョホフスカ

日本文化センタープシェミシル所長・創設者の

Iga Dżochowska (fot. Z. Czernecki)イガ・ジョホフスカは、幼少の頃から自然や日本の文化に傾倒し、自然、木々、動物を愛 し、死の謎、宇宙、天文学に興味があった。小学校の国語、歌、体育の成績は最優秀、しかしながら算数と物理、化学の授業を恐れる子供だった。幼年時代はジ ビエツとビェルスコ・ビャーワで過ごす。

ケンティで教育専門高等学校を卒業、ヤスウォ教育専門学校卒業、クラクフのヤギウェウォ大学で心理学科を卒業。自分の「最良の時代」をアメリカで過ごし、 そこで月刊「命の四季」を発行、メディア業界の為に写真撮影をし、アメリカの43州を訪ねる。多数の有名人達との会合を持つ。そこで唯一の親友、そして日 本とポーランドからやって来たアーティスト達に出会う。成功、富、親切な待遇にもかからわず、ポーランドに戻り、ここで自分の「アメリカ」と「日本」を創 る事に専念。ポーランドで度々辛い目にあっても諦めず、自分の夢への道を突き進む。自身の日本旅行のあまりの素晴らしさに、祖国の人々に、この遠い国を紹 介する為の活動を決心する。

自分が好きになった街、プシェミシルで、唯一の日本文化センターを個人で設立。ビェールスコビャーワ、ザコパネ、クラクフ、ジェシュフ、ヤロスワフ、クラ シチンで日本文化フェスティバルを開催しながら、それらの街を日本で紹介する活動に従事。個人で、「日本をポーランドに」、「ポーランドを日本に」紹介す る大和ポーランド・日本基金を設立。人と知り合う能力、人を引き付ける能力を持ち、それぞれの日本文化フェスティバルに おいて協力し合う。次回の日本文化フェスティバルは、2010年8月1日にクラシチンで行われる。自然を尊重し、木々を過去の肖像として思い、動物の無防 備さや痛みに思い至り、菜食主義を貫く。1994年より日本人ピアニスト小川敦子と協力、まるで日本とポーランドをつなぐ架け橋のように二人で活躍中。


小川敦子

ピアニスト、日本語教師

Atsuko Ogawa (fot. Z. Czernecki)日本文化マネージャー日本の京都で生まれる。大阪相愛大学音楽学部卒業(1974年-1978年)ワルシャワショパン アカデミーピアノ科大学院終了(1979年ー1981年)1981年パデレフスキーコンクール受賞者日本の京都、大阪、神戸、東京、長野、滋賀及びポーラ ンドワルシャワ、ジェラゾバ・ボーラ、クラクフ、グダインスク、ビドゴシチ、トルニ、スウゥプスク、ビェルスコ・ビャーワ、ジビエツ、タルヌフ、ジェシュ フ、ミエレツ、クロスノ、タルノブジェグ、イエレーニア・グーラ、コンシナ・ドールナ、イザベリン、ナウェンチュフ、ブスコズドルイ、ヤロスワフ、プシェ ミシルで、さらにウクライナ、リボフ、タルノポル、フランス・パリにて室内管弦楽団とコンサートを行った。1983年から2007年まで大阪相愛音楽大学 にて教鞭を取る。2007年9月1日よりプシェミシル日本文化センターにおいて、日本語講師及び日本文化プロモーター、プシェミシル音楽学校のピアノ教師 としてのキャリアをスタートさせる。1994年より日本文化センター所長であり、創設者のイガ・ジョホフスカと共に ポーランドとヨーロッパでの日本文化普及活動及び、日本でのポーランド、ポドカルパツキー地方の文化紹介活動に携わる。


吉田進

プシェミシル日本文化センター「大和」日本代表 日本の

吉田進西、山口県岩国市在住。エンジニア、趣味は個展も開く画家であり詩人。30年以上日本の古典的歌「詩吟」を嗜む。卓球に親しみ、少林寺拳法をトレー ニングする。英語、中国語、スペイン語、ルーマニア語、韓国語など数ヶ国語に通じ、在ポーランド日本文化紹介センター日本代表に相応しくポーランド語を学 習中。36年間エンジニアとして岩国市の「旧三井造船」(現「三井ポリケミカル」)で働く。岩国市「新芸術」副会長。プシェミシル日本文化センターを後 援、援助する。2009年8月2日、クラシチンにおける第8回日本文化フェスティバルに 岩国のアーティストと共に参加。ポーランドプシェミシル日本文化センターと日本の架け橋になる事を切に願っている。日本文化センター所長イガ・ジョホフス カとは1993年に日本発アムステルダム行きの飛行機の機内で知り合う。全くの偶然で隣り合わせた。彼らの交友関係、類稀なる人格、運命は映画の脚本と成 り得るだろう。